剛柔流

剛柔流武術館白馬道場では、年齢、体力、目的に合わせて稽古、指導を行っています。

 

① 準備運動は20分~30分時間をかけて行います。準備運動で基礎体力も養います。

② 基本は流祖、宮城長順先生から受け継いでいる無駄のない動きで、姿勢、体幹を整えます。

DSCF2340 300x225  DSCF2139 640x480

③ 「唐手の奥義は型にあり」 12種類ある剛柔流の型はスポーツ化された現代の空手とは一線を画し、一つ々の動きに意味があり、丁寧にその技の意味を分解、指導します。

DSCF2115 155x200   DSCF2094 200x150  DSCF2109 200x150

④ フィットネス系トレーニングにもなるミット打ち。 汗をかいてストレス解消!

DSCF2349 640x480  DSCF2348 640x480  DSCF2365 640x480

 

⑤ 組み手は剛柔流伝統の 「カキエ」 と呼ばれる手を触れた状態からの接近戦、離れた位置からの「イリクミ」 、「約束組み手」 など いろいろな状況を想定し行います。

⑥ 護身術は準備運動からその動きが組み込まれ、稽古を続けることで自然に身についていきますが、月曜日の大人の稽古では、フィットネス系、護身術を中心に稽古を行います。

  DSCF2356 640x480

⑦ 金曜日の大人の稽古では、一般稽古として、琉球唐手の武術稽古を中心に行います。

  DSCF2359 640x480

 

その他、年に2回、昇段級審査会、本部道場や国内支部、海外支部との合同稽古、沖縄合宿、少年部メインの合宿など、イベントも盛り沢山で、対外交流も多く行っています。

 

 

 

 

 

 

 


剛柔流武術館は、沖縄に正伝する剛柔流を継承する正統な会派であり、
その無形文化を系譜によって保存伝承しております。




   

 
1853年3月10日、那覇市西村に生まれる。1867年〜1868年頃、中国福建省福州へ渡り、南派少林拳リュウリュウコウ老師の内弟子となり修行する。リュウリュウコウ老師から絶大な信頼を受けた東恩納量寛先生は、さらに研鑽し、武名は、武術界隅々までいきわたった。帰国後、那覇手の主流となって普及に尽力し、次第に空手(唐手)中興の祖、或いは「那覇手の始祖」として仰がれるようになった。東恩納量寛先生は、那覇手に一生を捧げられ1915年(大正4年)63才で逝去された。

     

 
1888年(明治21年)4月25日、那覇市東町に生まれる。1902年(明治35年)那覇手の大家・東恩納寛量先生に師事、修行を重ねてその奥義を窮め、那覇手を継承する。更に、1915年から三度にわたって中国福建省福州へ渡り、中国拳法を研鑽する。寛量先生亡き後も、武術の探求と研鑽に努め、1930年(昭和5年)自らの武術を「剛柔流」と命名し、その普及に尽力された。「剛柔流の流祖」宮城長順先生は、生涯を武一筋に生きられ1953年(昭和28年)10月8日65才で逝去された。
     

 
1931年(昭和6年)2月9日、那覇市上泉町に生まれる。1948年(昭和23年)流祖・宮城長順先生に師事、晩年の愛弟子として修行に励まれ、剛柔流のすべてを受け継がれた。長順先生が逝去されてからは、順道館(宮里栄一先生が1957年創立)の門人をはじめ多数の修練者に剛柔流を指導する。「関門弟子」宮城安一先生は、流祖の教えを忠実に守り、正統なる剛柔流武術の保存、継承に努められ、2009年(平成21年)4月28日79才で逝去された。


     

 
1951年(昭和26年)東京都世田谷区に生まれる。1967年(昭和42年)剛柔流・石神昭三師範の門を叩く。後に、東恩納盛男先生(国際沖縄剛柔流空手道連盟)に指導を受ける。1994年(平成6年)流祖・宮城長順先生の関門弟子・宮城安一先生に師事、内弟子として修行を重ね、1998年(平成10年)に師より剛柔流奥儀皆伝を授与される。2002年(平成14年)に範士十段を允許され剛柔流武術の継承者として認められる。1976年(昭和51年)剛柔流武術館を創設、2001年(平成13年)NPO法人剛柔流武術協会を設立し、伝統文化である剛柔流の継承と普及発展に努めている。

 

剛柔流武術館より許可を得て転載しています。